<前編>はこちらから
スムーズな流れで始まった心屋仁之助氏とデューク更家氏の対談。
私を含め会場全体もまだそわそわしている。
最前列だけはやや違って、心屋氏の認定講師なる面々が陣取っているよう。
時折、観客同士で手を振りあい、再会を喜ぶ声が上がる。
「あれが信者か……」
ネットで見たことがある顔がある。
さらに見渡すと会場の後ろや、横でなぜか立っている人も見たことがある。
イベントのスタッフとして手伝っているのだろう。
ブログを何度読んでも何が言いたいかまったく分からんが、お茶会とかお話会とか初級セミナーとか募集していたド素人の自称心理カウンセラー達だ。
私がその気になれば「いつも見てます」としおらしく話しかけ、後でブログをチェックして「ファンに話しかけられちゃった♡」とか書いているのを見ながら「ふ、バカめ」と優越感たっぷりにカフェラテをすすることだって可能なわけだ。
陰湿……。しないって。
そんな「オリジナル心理学の認定講座」なみに無意味なこと。
◇デューク氏は龍が見えている
さて、対談。
デューク氏が感情たっぷりにボケると会場がどっと沸く。
それまでが一変するように空気が温まった。
奔放なキャラとトークで人を惹き付けるのは”教祖様”の条件ではある。
できればデューク氏のような華やかなタレント性ある著名な人をこのエセスピリチュアルのカテゴリに加えたくないのだが……。
8歳の頃から「龍が見えている」と話すデューク氏。
もともと「チャクラ」や「オーラ」が見えているそうだ。
スピリチュアリスト江原某とメディアデビューが同時期で先にブレイクされてしまったために、「僕はウォーキングで出る」と決めたという。
「ウォーキング健康法でやっていくうちに(業界で)変な人ばかり集まってくるので、堪えきれなくなって、(スピリチュアル好きを)出してしまった。すっきりした」
昨年11月に龍に関する本も出版して「カミングアウト」していた。
午後のステージでは金運が上がるドラゴンウォーキングなどを披露したそうだが、予定もあったので見られず残念だ。
心屋からの「龍が見えている人?」という質問に対して、4分の1ほどが挙手。
前のおばちゃんのピンと伸びた手が、私はもう恥ずかしくて恥ずかしくて。
「イタタタ…」と渋い顔になってしまう。
デューク氏から、龍を見るためのアドバイスがあった。
「気配から感じる。鳴き声が聞こえてきたり風を感じる」「最初は夢に出てくる」「雲を見て意識しだしたらだんだん見えてくる」など。
心屋氏はファンや友人から「龍がついているらしい。ステージをやっていたら飛んでいると言われた」(スピまみれだもんなこの人の周囲)
その経験から「自分には見えないけれど、龍に守られていると思うようにした」とのこと。
ひとしきりギャグなのか本当なのか分からない「龍トーク」が展開。
ボケとツッコミもある軽快な二人の関西弁で会場を盛り上げていた。
目くじら立てて「嘘だ」なんて糾弾することもないだろう。
◇誤算!写真撮影アリ
さあメインイベント。
心屋氏の単独トークショーだ。
ここで最大の誤算が生じる。
「心屋さんが客席に降りて皆さんとの写真撮影に参ります」
はあ???
待て待て。
私は顔がバレたらぶち殺されるんだってば。
↓

(しつこい?)
しかし困った。一時的に会場の外へ出ようにも、横のおばちゃんの足が邪魔でこのど真ん中の席から抜け出せない。
せめてマスクでもしておけば……
幸い、一人ひとりの横に座って撮るというようなことはせずに通路からブロックごとに撮影するようだ。でも、どうあがいても多少は私の顔が写ってしまう。
そうだひらめいた! シャッターの瞬間に鼻をかむふりだ!
「せっかくの貴重な機会を逃しちゃった」のテイで。
「グス…グス……」 急いでバッグあさる。
「ティッシュ…あった」(小声)
演技うめえな!
おお、かなり近くまで来た。これが生・心屋か。
左隣の地味めのおば様はスマホ片手にすっかり乙女の顔。
右隣の派手な奥様は私の方にぐいぐいと体を寄せてくる。
「あんたが邪魔であたしがぢんさんと写れないかもしれないじゃない」という感じの小宇宙(コスモ)を感じる。
香水くせえ。
カメラマン「はい撮りまーす」
記念の瞬間を切り取ろうとしているこのブロックにあって、畳んだティッシュで鼻をふさぎ、巧妙に顔を隠す黒いスネークが一匹。
嬉々としてピースなどする工夫のない観客の中で。
心屋氏が別のブロックへ去った後、念のため、この小劇場に幕を。
「ああ、鼻辛い……スンスン…」(小声)
演技うめえな!!
なんとか自然に乗り切ったぞ。そう思ったのもつかの間。
ステージ上から主催者らしき女性がマイクで放つ言葉に電流が走る。
「撮影した写真は1週間後に弊社のホームページ上で公開します」
うおおおおおいっ!!
メディア・リテラシーとは!?
(怖くて未だに見てない)
◇それは涙で始まった
写真撮影が続く観客席を眺めてみる。
会場の8割ほどが女性のようだ。写るのが嫌そうな男性もいた。
無理やり奥様に連れて来られたのだろうか。
すごいと思ったのは、心屋&デューク対談の時は50~60空いていたはずの後ろの方の席が今は完全に埋まっていること。
スピリチュアルイベントなのに「自分には龍が見えないし感じない」と話す心屋氏のステージがこれだけ埋まるのは、「心屋のついでに」他のステージを見ようとしている人の多さを表している。
さあ、何を話すのか。
「子どもを叩いていいよ」「叩かれるために生まれたのよ」「流産やガンは前世で自分で決めてきた」と言うだろうか。
家族関係に悩む人をステージに上げて寝そべらせ「あんな奴死んでしまえ」と号泣させて言わせたりするのだろうか。
今回のトークテーマは「成功の秘訣・龍に乗る方法」だそうだ。
結論から言うと、その内容は全く過激でもなんでもなかった。
ざっくりまとめると以下の通り。
・龍に乗るには何か握りしめているものを手放さないといけない
・怖くて手放せない大切なものを捨てること
・一人ひとりにカウンセリングをせず好きなこと(歌)をやっている姿を見せる
印象に残ったのはテレビ局に重宝されるようになったきっかけの話。
たくさんのカウンセラーと一緒に番組に出る中で、このままでは何もできないと思った心屋氏はあるとき、芸能人の悩み相談に対し、持ち時間や事前の段取りなど気にせず自分の言いたいことを好きなだけ言うようにした。
今風の言い方なら爪痕を残そうとしたということだろう。
そこで何が起こったか。森口博子さんが泣いたそうだ。
この反響が大きく、すぐに番組関係者が飛んできて「しばらく他には出ないようにして欲しい」と囲い込まれた、と。
つまり今日の心屋氏があるのは森口博子の涙のおかげ。
森口さんよう、あんたがもうちょっと我慢できていればなあ……
◇歌がこんなにも辛いとは
トークショーも半分以上が過ぎ、心屋氏がギターを準備した。
満を持して歌のコーナーが始まるらしい。
信者が泣いてしまうという自己啓発ソングだ。私は覚悟を決めた。
このヤマ場を乗り切れば帰れるんだ……頑張るぞ…。
「きょうのために作りました。”龍に乗れ”という歌です」
「おお」「わあ(感激)」などと色めき立つ最前列。
壁際で立っているスタッフや出入り口付近のお姉ちゃんも慌ててスマホで録音の準備をしている様子を私は決して見逃さなかった。
「ぢんさんの新曲初披露だあ♡」ってか。おめでてえな。
♪
龍に乗れぇ すべてを捨ててぇ 心の向く方へー
うーん…。初めて生歌を聴いたわけだが。
ぜんぜん歌うまくないと思うのよこの人。
好きなのはよく分かるし好きにすればいいけど。
こんなので感情を動かされて泣いてしまう人って、だいぶ疲れてるとしか言いようがない。久保田利伸とか佐藤竹善のコンサート行ったら痙攣失禁してその場から動けなくなるんじゃないの。
二曲目。
なんかもうノリノリの曲調で合間に心屋氏が「ラッセーラー!」とか「ヨオー!」とか言って、「心配事よりウキウキ」「馬鹿にされても怒られても踊りましょう」みたいなやつ。
もう歌詞を書くのも苦しい。
前列を中心にじわじわ手拍子が広がる。とても辛い。
会場の半分以上がノリきれていない空気がしんどい。
この曲が終わると、心屋氏は静かに語り始めた。
「嫌なことをやめて好きなことをやるというメッセージを僕は届け続けます。僕も嫌なことをやめて好きなことだけやる。怒られている横でラーメン食えるかということ。これが大事なことだと思う。自分に大変なことがあっても、ガンになってもクビになっても心配ごとや大変なことがあるのに、楽しいことをする……」
さあ締めに行くぞという感じになっている。
こういうミュージシャンの真似事の感じ。とても辛い。
ちょっと音が外れて笑ったりやり直したりしてから、三曲目が。
♪
大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ……(たぶん10回以上繰り返し)
もう辛い。とても辛い。
天国のタケじいちゃん。3周忌行けなくてごめんな。私、今こんなお経みたいなキツめの歌を聴かされてるよ。
こんなことになるなら東京になんか出てくるんじゃなかった。大分の海と山が見える町でずっと静かに暮らしていたかったよ。
心屋が繰り返しをやめて「大丈夫だ」と一度だけ言う。
会場に向かって手をかざしたのだろうか、反応した最前列を中心に「大丈夫だ」と合唱で返す。
そのやりとりは徐々に大きくなる。
♪
あなたは僕に出逢ったから大丈夫だ… あなただから大丈夫だ…
さあ行くよ? 大丈夫だ?
会場「大丈夫だ…」(合唱)
36年間の人生でこんなにキツい場面に遭遇したことはなかったかもしれない。
力を入れた眉間と噛み締めた奥歯が痛い。辛い。
大丈夫なワケがない。
こんな晴れた日曜日の午前中からスピリチュアルイベントに来て、自称心理カウンセラーの素人歌に合わせて合唱する人達の何が大丈夫なんだ。
♪
一緒にいくよ? 大丈夫だ大丈夫だ…(数えきれない繰り返し)
大丈夫だ(だんだん小声に)大丈夫だ…(会場の合唱)
たぶん…(小声)
(会場おおウケ)
心屋「ありがとうございました」(会場大拍手)
酷いフィナーレだった。大丈夫じゃない。辛い。
最後の「たぶん」は鉄板ネタなのだろう。
前の方から「これこれ」「いいわあ」とか聞こえる。
横を見ると奥様がちょっと興奮気味に何かをしゃべっている。
ステージを指さしながら、おそらく初めて連れてきたらしき旦那さんに向かって。
曲の歌詞がいつもと違うことの説明ではないだろうか。
「龍が守ってくれるから大丈夫って歌ったでしょ…」とか聞こえる。
旦那さんの表情は読み取れない。
DVは絶対にダメだが、肩に置かれたその手を強めに振り払えばいいのに。
終わった。ああ、やっと解放される。(自分で潜入したんだろうが)
一刻も早くこの場を離れたい。
すると隣の派手な奥様がポツリとひとこと
「大丈夫だ…」
うるせえわ。
◇本当に「会いに行って」いいのか
どのような様子かを知りたくて決行した今回の潜入。
収穫はあった。
「心屋なんて」と思っていた私が「自分は間違っていた」と思うだけのものは何もなかったということだ。
スピリチュアル自己啓発の界隈は、ネット上で人気者(と見せかけている人も含めて)や有名人でもすぐに会いに行くことができる。それこそ、セミナーや集会などに、お金さえ払えば簡単に。
そして「会いたい人に会いに行こう」などと勧めてきて、ファンになりかけの心が弱った人や日常に疲れた人を刺激しがちだ。
いざ入り込んでみると、「会いに来てくれたということは良いことがある」「心屋に出会ったということは」のような語りや歌詞を口にしていた。
ネット上と同じように、何度も繰り返し「やりたいことをやろう」「嫌なことを止めて」「何があっても大丈夫」とも。
その根拠や具体的な方法より、ただただ客を安心させるような意図で。
行きたい人を止める権利は私にはないが、疲れている人はちょっと注意したほうがいい。
よく考えて欲しい。
心屋氏が「大丈夫だ」というのと、私が「大丈夫じゃない」というのは全く同じこと。それを聞いた人がどう受け取るかだけの問題だ。
根拠のない心の安寧を手に入れても現実は何一つ変わらない。
私は心屋の全てを否定しないし、心身のバランスよくその教義をうまく取り入れることができるなら別に構わないとは思う。
ただし「子どもを叩いてもいい」「苦しみは前世で自分で決めた」「借金してもいい」などの類の無責任な発言をしたら必ず疑問を持つようにしたい。子宮委員長八木さややhappyちゃんのような教祖的な人物を称賛してることも含めて。
心屋がそう言うならそうだなんてことは一つもない。
自分が助かるために人を傷つけていいと思ってしまう。
そんな極限状態に陥っているなら、あなたは全く大丈夫じゃない。
他人に何を言われても妄信することはないし、どんな意図であってもそんなことを平気で考えて人に教えているような性質の人はまず疑うべきだ。
心屋の何が分かるんだという人には言ってやるよ。
人それぞれの悩みや辛い境遇の一つ一つの何が分かるんだ。
何が大丈夫なんだって。
しかし自分で企画した潜入とはいえ辛かった……。
会場を出る時にスタッフが配っていたのでこれをもらった。
(携帯クリーナー)
なるほど、この記憶を拭い去れと。
行こう!じゃねえって。もう行きたくねえよ。
<終>
※この記事は全て個人の主観と感想です。