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2018年9月22日土曜日

【夏の終わりの雨】




 秋雨が舞って肌寒くなってくると、あれから何年だって、いつも思い出す。

 覚えたてのお酒の力を借りてわんわん泣いた帰り道。
 「雨と一緒に涙を流すなんてドラマチックやな」
 感情を溢れさせているはずなのに、冷静に馬鹿なことを考えている自分がいた。


 大学の頃。一人暮らしが寂しくて、下宿から1時間以上も離れた、同じクラブの友人の家を転々とした。
 友人と同じアパートに住んでいたKは、いつも穏やかで、大きな体と同じように大らかな性格で、私たちのリーダーみたいな存在だった。

 スーパーで買ったアイスやお菓子をたくさん抱えて、インターホンには目もくれずKの部屋を特徴的にうるさくノックするのが好きだった。
 「黒でしょー、またなにか持ってきたのー」
 薄いドア越しに、関東から出てきたKの標準語が聞こえてくるのが楽しかった。

 部室の倉庫の裏で、荷物運びで使う軽トラックを二人で洗車したとき、間違えたふりをしてKに水をじゃんじゃんかけたら「黒さん、真面目にやろうよ」とちょっぴり怒っていたっけ。

 他にもたくさん思い出がある。そのはずなのに、15年が過ぎた今、鮮やかなのはそれぐらい。
 忘れたくないと思ったことばかりなのに。記憶はどんどん薄れて少なくなっていく。


 8月、その連絡を受けたのは実家にいたときだった。
 クラブ活動中にKが倒れて運ばれた、と。

 その頃の私は、厳しい練習と授業との両立に悩んで、もうそろそろ諦めて、就職活動でも真面目にやろうかと思っていた。
 だから、Kのことはそこまで深刻に思わず、サボり気味な自分の状況しか考えなかった。
 「大丈夫? こっちはもう辞めるかも。お見舞いにいくから、また相談に乗ってな」
 そういう感じのメールをしたと思う。

 そんな思慮不足で身勝手な私をたしなめる返信はなかった。
 連絡から3日後、Kは亡くなった。

 突然すぎて「どうして」「なんで」としか思えず、しばらく寝込んだ。そのときに泣いたかどうかは思い出せない。ただショックだったことしか。
 
 クラブの代表者やコーチだけが葬儀に出るために上京した。私たちは関西に留まって、荼毘に付される時間をメールで連絡してもらい、それぞれの家で黙とうをしたと思う。
 そのあと抜け殻みたいに過ごしていたと思うけど、たぶん、普通に授業には出たし、バイトにも行った。部活も再開した。

 Kが亡くなって1か月が経って、同期10人以上で焼き肉屋さんに集まった。若かったな。
 しんみりしたくないからと、あえてバカ騒ぎをして、じゃんけんで勝った私が1枚1200円もするお肉を食べた。

 誰かがジョッキを割って、お店に弁償を申し出た。
 こういうとき、Kがいつも率先して店員さんと話してくれたことを思い出した。
 お会計のときも、誰に言われなくても、大体いつも冷静な私と、リーダー格のKが集金の役。

 私は全員分のお金を受け取って、会計を済ませ、酔っぱらいと大丈夫な人をセットでタクシーに押し込んだ。
 いつもみたいに「ほんましょうもないよな、あいつら」と隣に話しかけたりしない。
 私はいつも落ち着いているからKがそこにいないことは分かっている。


 散会後、雨の中、30分以上の距離を歩くことにした。
 もしもKがいたら、どんな飲み会だっただろう。そんなことしか考えられなくなって、最終バスにただ座るのがつらくなったから。

 せっかく感傷的になって、寒くて耐えられないほどの季節ではないのだから、生まれて初めてわざと雨に濡れてみたかった。
 みんなの前では派手に酔うこともできない癖に。
 ドラマのワンシーンみたいに格好つけているだけなんだと自分に言い聞かせて。大声で泣きながら、川沿いの道を早足で進んだ。


 
 毎年この時期に雨が降ると、いつも胸が苦しい。
 親友がいなくなった、あの夏の終わりをやっぱり思い出す。