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2018年9月14日金曜日

【さよなら子宮系女子】




どうも、おまんたせ致しました。

機を逸するのが嫌なので、今が旬な子宮系女子について
私の経験なども紹介しつつ書いてみます。



◇詳しいサイト◇


まず子宮系女子と聞いて、ピンとこない方々。
このブログを読んでくださるなんて感謝感激です。

私が説明するよりも詳しい秀逸なまとめサイトがたくさんあるので
そちらをご覧ください。
(私が語ると長くなるんで)



「子宮系女子」にみる、現代女性が抱く夢と闇―togetter

そろそろ潮時?「子宮系女子」を卒業する人が続出中―NAVERまとめ

じわじわとスピリチュアルに侵食されていく私たち― BuzzFeed


たくさん読み返しましたが、やはり珠玉です。
これらは私が「子宮系女子」になった人と向き合い、
悩んでいた頃の前後に書かれたもの。
この違和感、不快感は間違っていなかったんだ、と
私を後押ししてくれました。

Wezzyでは「スピリチュアル百鬼夜行」。
ライター山田ノジルさんによるシリーズ物が連載されています。

「子宮教」の影響で育児放棄、散財に走った妻に目を覚ましてほしい夫の奮闘!


ものすごく愛読しております。
いろいろと身に覚えのあることもあり、
いつも「うわあ…」という声と霊魂が漏れ出てしまいます。



◇私と子宮系女子◇

さて、芸能活動を引退された小林麻耶さんについての報道が出たことで
3年弱ですか、私が見続けてきたこの子宮系女子という
一つのジャンルに光が当たっています。
私のフォロワーさんの中にはもっと長い間ウォッチしてきた方もいます。

小林さんが子宮系女子かどうかはともかく、
小林さんが「そういうもの」がお好きなのは周知の通りです。

小林麻耶と夫にスピリチュアル報道 “子宮系”支持者拡大への懸念―Wezzy




さて、仮にTとしましょう。
私の身近な人です。

好奇心が強く、学ぶことが大好きで、
いつもバイタリティに溢れて明るく輝いていました。

この子宮系とやらに出会うまでは。

いつの頃からか金に汚くなり、予定はほぼドタキャン、
自分勝手に振る舞うことを誇り、
常に周囲や現在の環境に文句ばかりを言うようになりました。

「子宮委員長はるちゃんやhappyちゃんみたいに生きたい」
「嫌なことは全部やめる。なんで私が苦しまなきゃいけないの」
「男はお金だけ出して私のやりたいことをやらせたらいい」
「女はいざとなれば脱げば稼げる」

いつも何か女体のイメージをノートに書いては、
腹の部分を丸囲みするようにして何やら図解を綴っていました。
「いつか私も本を出して人前で自分の理論を話したい」
心屋仁之助氏の著書を読み漁っていました。

(特定を避けるために色々ぼかしています)


こんな調子で半年ほど経った頃でしょうか。
2016年の終わり、龍の化身や未来が見えると言い出して…。
素顔を晒してブログを始め、1時間5千円で個人セミナーの募集を開始。


「あ。これもうダメや」

価値観は人それぞれといっても、虚言での商売はアウト。
法に触れる部分もたくさんあったと思います。
(これらは今もアメブロなどで横行しています)

私はTの家族や親せきをあらゆるツテを使って集め、
全力で彼女を現実に引き戻しました。


今でもこの方法が正しかったのか分かりませんし、
正直言って誰にも参考にして欲しくありません。

自傷しうる道具を全て隠し、子どもの安全を確保してから
傷付け、傷付けられ、無意味に罵倒しあい、
本やサイトを提示しながら色々な話をしました。
誇張抜きで私は三日三晩まともに眠らず、Tと向き合いました。

あれは修羅場でした。



◇子宮の声を聴くとは◇


「子宮系女子」ってなんだろう。

Tが落ち着いた後にずっと考え、ツイッターを始めました。
原因になった子宮委員長や心屋氏らを自分なりに分析し、
その教義に異議を唱えるようにツイートを繰り返しました。

私怨を隠してはいません。
この感情が誰かを批判的に論じる動機になっていることを心の中では恥じ、
今も少し悩んでいます。

ただ、紆余曲折を経て今。
容姿や経歴などを話題にしないこと、
その意味不明な教義やトンでも理論に突っ込みを入れ、
ユーモアを加えて読んだ皆さんが楽しめることを心がけています。
ってまあ言い訳にはならんのでしょうが。


一応は学んだつもりです。
私の考え方を冷静に呟きます。
「こいつは悪!」みたいに価値観は押し付けません。

「こんなこと言ってるぞ。おいおい…」
今の私のスタンスは恐らくそうなっているはずです。


Tの弱さにも言及を。

心が弱ったとき、人は自分に合った教義を選び、妄信します。
もともとの自分の本性が出せるものを尊びます。
それが楽に決まっているからです。

私たちは他者とのつながりで人生を作っています。
青臭い言説かもしれませんが、その集合が社会。
自分をさらけ出してばかりではいられず、
そのルールや秩序を自分勝手に壊すものは受け入れられません。

きれいごとばかりでない世の中なのは承知で、
私のように格好つけて書かずとも、そういうものを
理解して過ごしているのが大人だと思うのです。
自分を偽るのが正しいというわけではなく一般論として。

一方、子宮の声とやらは社会がどうで大人がどうだとか関係なく、全ての欲望を肯定してくれます。
なにせ自分にしか聞こえませんから。
最大の理解者が腹の中にいる、という幻想です。

自らを律して目の前の出来事や自分と向き合うこと、
ストレスを自分なりに解消することなどを
きっと毎日のようにみんなが模索しているのに、
Tは本当に子宮の、否、自分の声を都合よく聴いていたのでしょう。

だからあんなに輝いていた彼女が
あそこまで醜悪に周囲を振り回してしまっていた。


あの喧騒から2年あまりが過ぎて、時々は感情が爆発するけれど、
Tも私もお互いに穏やかに暮らしています。
個人の感想ですが、あれはあまりに無駄な時間でした。
本当に忘れたい。


さて、子宮委員長も年内で引退して壱岐島に隠居とのこと。
とりあえず長らくのビジネス、お疲れ様。
(いったい何回引退っつって物売るねんですが)

まあこれからも面白いこと言ってたら、
私の感想とともに紹介させていただきます。
だって素晴らしいものだったら、たくさんの目に触れたほうがいいでしょう?

図らずもこのたび週刊誌が取り上げてくれたことで
私が話題にせずとも、たくさんの見解が渦巻くことでしょう。


願わくば、これを機に本当に
さよなら子宮系女子。