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2018年9月7日金曜日

心を扱う、背中を押すということの危うさ



私のツイートや指摘を「悪意」だと感じる人がいるようです。
とらえ方は人それぞれですよねえー、、

子宮の声、宇宙の掟、卑弥呼の生まれ変わりのパワーストーン
趣味なら好きにすればいいですが、
つらいときに限ってまた妙なものを知りやがって。
 
私に悪意があればもっと厳しく書きますよ。
「これを知って楽になった」とか
恥ずかしい現実逃避すんなブスども。みたいに。

攻撃材料を探すためでもいいので、
私が何を書いているか是非よく読んでください。



◇心を扱うこと◇


下手なたとえ話など交えつつ書きたいと思います。

人の心なんて、どこの誰もが扱っていいはずがない。
私はそう思います。

私自身も心理の専門家でもなんでもないのですが、、
でも、そう信じています。

近頃の一部の心理カウンセラーの皆様ときたら
お金をとって、信頼をされて、
悩んでいる人の相談を受けているのにあまりにも軽い。

 人の心を扱うというのは、人の生命に携わること。
長い時間をかけて探究し、
場数と経験を積まないといけないものでは?

 不用意なひとことが原因で、
相談者が自ら命を絶つ可能性だってある。
自暴自棄になって他者に危害を加えてしまうかも。

カウンセリング中に激昂した相手がナイフを出す。
「刺してもいいー!まず許すこと! ぐふっ!」
言うてる場合ですか、、

それは冗談としても、
様々な危険性と向き合う覚悟がいるんですよ。


「人に迷惑をかけてもいい」なんて声高に言い、
そして言わせている。
そんな民間資格に一体どれほどの価値があるのか。
 
講座なんて受けなくても認定講師と名乗っていいのでは?
だって迷惑かけていいんだから。
そう思ってしまう私はやっぱり悪意ありますかね。



◇背中を押す人◇

たくさんの人の心を楽にした事実があると言います。
でもその人達、問題が根本から解決してます?

 自己流の教義に基づき、人をうまく思い込ませることを
「楽にした。癒した」とうそぶく人達を敬っても
病の根治までは期待できません。

なぜならそんなの「できなくていい」と思っている。
「責任もとらなくていい」のだから。



心の傷を「たいしたことない」と笑い飛ばすこと。
生活や金銭の問題を「なんとかなる」と思うこと。
人生の不安を「大丈夫」と考えること。

誰にでもできるようで、難しいことだと思います。
一種の決断です。

背中を押してもらう必要があります。
押そうとしてくれるその人は信用に値する人ですか?

 
「命綱なんかなくても飛べばいいよ」

私にはそう言ってるように思えてならないのです。

 
「信じて飛べばいい。楽になるから。
(なんの根拠もないけど)みんなそうなっているから」

あなたの状況を何も知らない人が放ったこの言葉、
崖の上で聞いていて、恐ろしいとは思いませんか?
本当に信じていいですか?

 
「怖かったけど飛んでみたらなんとかなった!!」
そう言えるのは偶然にも(ここ大事)生還した人だけ。


「な!な!な! 言った通りじゃろ?」
あとはその声をブログで取り上げれば万事オッケー。

 
崖下の多くの亡骸は完全放置です。


「だってわしそいつのこと押してないもん。
勝手にこっちのやり方見て勝手に飛んだんやろ。
知らんがな」

うーむ。どこの誰だかは優しさで書かんが
どこにカウンセラーの素養があるのか教えてくれ。


傷だらけで崖から這い上がった人(失礼かな…?)
の秀逸なブログがあります。

 → 信者と書いてカモ


私のブログはまだまだ足元にも及びませんが、
この元信者たこわささんの経験談のように、
たくさんの人に読んでもらいたいです。

いや、私は元信者ではないのですが、、
そのあたりのことはまた後日に。